踏み込んで考える |
踏み込んで考える 教師になって3年目、6年生を受け持った。 『やまなし』の授業に挑戦した。 教材研究を始めた。 ありとあらゆる文献に目を通した。 ないものは、国会図書館にいき、目を通した。 毎週神保町の古本屋へいき、文献を探した。 司馬遼太郎氏は、『竜馬が行く』を執筆したとき、トラック数台分 の資料を買い求めたという。 昭和30年代、2000万円は使ったという。 凄まじいエピソードである。 私も何かするときには、徹底的に研究する。 森信三先生を追って 1993年ころのことである。 いつものように、早稲田の古本屋「ヤマノヰ」へいった。 そのとき、ご主人にいただいた小冊子が森先生の本だった。 寺田一清というお弟子さんがまとめたものである。 「一日一語」という小冊子を読んで驚いた。 一つひとつの言葉が、珠玉のようにきらめき輝いていた。 このようなすごい文は読んだことがない。 それくらい、森先生の文章は光っていた。 深い哲学に裏打ちされている 言葉が選び抜かれている 生命のうねりがある リズムがある 教育者としての自分、うちに眠っている自分が覚醒した。 それ以後、森先生の本を買いまくった。 ほとんどもっているだろう。 その中で、先生が尊敬している人も氣になった。 中でも氣になったのが、新井奥邃である。 明治時代のキリスト教学者。 田中正造にも大きな影響を与えている。 新井奥邃の本を探した。 しかし、当時は売っていなかった。 インターネットもなかった時代である。 書店を巡ったが…手がかりさえつかめなかった。 あるとき(確かお正月だった)、神保町の古本屋で見つけた。 新井奥邃の全集ともいえる『奥邃廣録』である。 もちろん、復刻版であるが… 高かった。 6万くらいだったように思う。 翌日、買いにいった。 とうとう手に入れた。 しかし、この本は難敵だった。 難しすぎるのである。 文語で書かれている。 『奥邃廣録』には、パンフレットが入っていた。 近々、資料集が発売されるという。 こちらだったら、何とか読めるだろう。 ヤマノヰ書店で、ご主人と話をしているとき。 新井奥邃のことに話が及んだ。 「先生、私の親友なんですよ。大空社の社長は」 「安くてに入りますよ」 資料集は、2割引で手に入れることができた。 資料集は、読むことができた。 新井奥邃を研究している人の本を、もっと読みたくなった。 もちろん、絶版である。 国会図書館で読んだ。 著者の連絡先が載っていた。 さっそく、手紙を書いた。 電話番号を教えていただいた。 電話をした。 工藤先生は、100歳近くだったように思う。 「ぼくの本は、書店にはないでしょう。古本屋にもないと思いますよ」 やはりそうか… いつものように、国会図書館でコピーしようと思っていた。 「ぼくの手元に、2冊あるんですよ。よかったら差し上げますよ」 見ず知らずの私に、工藤先生は本を送ってくださった。 お金は受け取ってもらえなかった。 ※工藤先生は、新井奥邃の最後の弟子だということだった。 工藤先生の本を、隅から隅まで読んだ。 そうこうしているうちに、新井奥邃の本は世に出始めた。 それらをすべて読んだ。 |