かかわり 

   
   かかわり

   1%を見る!の次は、かかわりを取り上げたいと思います。
   ちょっと前までは、支援のオンパレード。
   1990年、私が「学習支援案」を発表したときは総スカンでした。
   10年たって、全盛。
  「指導はいけない。支援がいい」
   支援ってなんにもしないことだったのですね(笑)
   指導にしろ、支援にしろ、かかわりです。
  
   私なりのかかわり方を分類してみました。
  
    前からひっぱる
    後ろから、背中を押す。
    横にいてサポートする。
    ななめちょっと前でエスコートする。
  
   いろいろなかかわり方がありますね。
   他に、押し倒すとか(笑)
  
   どれがいいということはありません。
   子どもによって、かかわり方は違います。
   時期によっても違いますね。
  
   その子を見てかかわるのがいいと思います。
  
   若いころは、子どもとよく遊びました。
   ドッジボール、野球、サッカー、鬼ごっこなどなど。
   休み時間はもちろん、放課後、休みの日も遊びました。
   子どもたちは、一緒に遊んでくれる先生が大好きです。
   いうことを聴くようになります。
   授業は稚拙でも、ついてきます(笑)
   実力は、義理義理なのです。
   
   毎日たくさん遊んでいると、親しくなってきます。
   授業中は、「おいおい」と思う子が別の顔を見せます。
  「いいところが、あるじゃない」
   子どもを2つの面から見るようになりますね。
   ・授業
   ・遊び(生活)
   大人でいえば、仕事とアフター5でしょう。
  
   遊んでいるうちに、会話も多くなります。
  「ぼく、○○が好きなんだ」
  「私の家では〜」
   などなど、情報がふえていきます。
   子どものいろいろな面が見えてきます。
  
   私は、その子にあった指導を考えるようになりました。
   


   逆の例もありました。
   その方は、とてもいい人でした。
   親分肌で、やさしいです。
   子どもにも親にも、そして同僚にも人氣があります。
   スポーツ抜群で、おしゃれのセンスもいい。
   すてきな人です。
  
   しかし…学級はというと…
   うまくいかないのです。
   子どもたち、先生のことは好きなのですが、いうことを聴かないのです。
   授業では。
   授業は、ひどいものでした。
   見かねた私は、ちょっとアドバイスをさせてもらいました。
  「大丈夫です。もう少ししたら…」
   2ヶ月たちました。
   学級は、ぼろぼろ。
   荒れ果てた状態になりました。
  「何とかしてください」
   ようやく自分からいいだしました。
   授業に入るようになりました。
   私が授業すれば、きちんとできるのです。
   ただし、5分くらい(笑)
   毎日1時間、授業に入りました。
   私の学級と合同で授業しました。
  
   周りからはいろいろいわれましたが、背に腹はかえられません。
   
   その人は、自分を変えようと努力し始めました。
   私に頭を下げて「教えてください」といったのです。
   なかなか、できることではありません。
   同じくらいの年齢です。
   教師ほど、頭を下げない職業はありませんから(笑)
  
   以前は、学級があれたことはないそうです。
   子どもたちとうまくやっていたそうです。
   前勤めていたところを聴くと…いいところだったようですね。
   地域も職場も。
  
   今回は、自分を変える必要があります。
   以前の自分では、通用しないのですから。
  
   十二分に通用しながら変えていく人もいます。
   イチロー選手は、その典型ですね。
  
   以前通用したから、今回も…と思う。
   その安易な心が、油断につながるのではないでしょうか。
  
   子どもとのかかわり以前の問題です。
   教師と自分とのかかわりです。
  
   もう少し話を続けましょう。
   私の経験では、人間関係がうまくいくと授業もうまくいきます。
   しかし、そうではないこともあるようです。
   「かかわり 3」で紹介した例です。
   人間関係はうまくいっているのに…学級が崩壊するのです。
   不思議な感じがしました。
   崩壊する場合は、教師と子どもの人間関係が崩れますから。
  
   となりから見ていて思ったことは、けじめのなさです。
   休み時間、授業のけじめがないのです。
   すごく仲よく遊んでいます。
   放課後も、そして休みの日も…
   授業となると、一変するのです。
   教師のいうことを聴かない。
   寝ている、トランプをしている、飛行機を飛ばしている…
   最初は注意をしていたようでしたが、途中からあきらめたようです。
   その子たちを注意せず、まじめな子だけを相手にしていました。
   約半数(多くは男子)の子が、好き勝手をしていました。
  
   親しき仲にも礼儀ありです。
   けじめをつけることが大切だと思いました。
   教師は、友だちではありません。
   いいお兄さん、お姉さんでもありません。
   指導者です。
  

   教師と子どもとのかかわり…
   永遠の課題ですね。
   うまくいっているときは、考えもしません。
   うまくいかなくなると…はじめて真剣に考えます。
  
   学級が崩壊した、崩壊しそう…
   相談されることも多いです。
  
   親しい人の場合は、かなり深く関わります。
   毎日ファックスをしたり、メールしたりしました。
   お互いの情報交換です。
   ゆうに、1冊の本ができるくらいの分量になるでしょう。
  
   ここには、次のかかわりがあります。
   ・教師と子どもとのかかわり
   ・教師と私のかかわり
   ・その他 ※複雑になるので略します。
  
   初期、アドバイスは耳を素通りします。
  「こうしてみたら」
  というのですが、実行してくれないのです。
   それでいて「うまくいかない」と悩んでいるのです。
  「どうして実行しないの」
   たいていの場合、
  「そんなことしたら、子どもに嫌われる」
  という答えが返ってきます。
  「あのねー、好かれるとか嫌われるとかいう問題じゃないんだよ」
  といっても、ダメです。
   聴いてもらえないのです。
   アドバイス通りやれば解決するのに…
  
   その人と私とのかかわりが問題なのです。
   アドバイスしているうちに、腹を立てていく自分に氣づきました。
  「どうして実行しないんだ!」
  「実行しないんだったら、私に聴く必要ないでしょう」
   慰めてくれる人は、たくさんいるのです。
   今必要なのは、具体的なアドバイス…このように思っていました。
   
   せっかくアドバイスしているのに…聴いてもらえない。
   腹が立ってきます。
   ※まだ若かったので(笑)今は、大丈夫です。
  「実行しなければ、今後一切アドバイスはしない」
  とまでいってしまいました。
   その人は、アドバイスを実行しました。
   ほとんどの場合、成功します。
   やるかやらないかが問題なのです。
  
   どうして、その人はアドバイスを即実行しなかったのでしょうか。
   自分にはないことですので、よくわかりませんでした。
   年を取ってから(笑)は、多少わかるようになりました。
   ・その人のプライドを傷つけていた
   ・「大変だね」「つらいね」という共感がなかった
   ・態度が冷たいように見えた
   などなど。
   人をくるむやさしさが足りなかったようです。
   かかわりについて、考えさせられました。
  
   友だちがいいました。
  ・普通の人は、優しい言葉をかける → でも他人事
                     →問題は解決しない
  
  ・杉渕は、厳しいかもしれない → 自分のことのように考える
                   具体的なアドバイス
                   →解決へのヒント
  
   私なりに、かかわりについて考えさせられました。
   どうかかわったら、その人は前向きになるか。
   自信を回復するか。
   半歩を踏み出すか。
   たとえば、このようなことについての考察がなかったですね。
   もっと、繊細に接するべきでした。
  

   繊細に接するようになると、自分が引っ込みます。
   あれも、これもアドバイスしようという自分がなくなります。
   その人の「半歩先」しかいいません。
   しかも、プライドを傷つけないように…
  
   私には、非常に難しいつらい作業でした。
  「どうして、私がそこまでしなくてはいけないのか」
  「相手も大人なのだから〜」
  「教師として給料もらっているのだから〜」
  などなど。
   いろいろな思いが頭をよぎります。
  
   自分の考えを変えるまでに、約10年かかりました。
   長かったです。
   自分に厳しい分、他人にも厳しかったのです。
  「それだったら、やめたら」
  くらいに思っていました。
   プロの考え方としてはいいかもしれません。
   しかし、いわれてパワーが出る人はほとんどいませんでした。
   多くの場合、もっとやる氣がなくなってしまうのです。
   自分のいったことで、相手がやる氣をなくす…
   強烈な体験でした。
   なぜなら、私は相手にやる氣を出させようと思っていたのですから。
   自分がよかれと思ったことが、マイナスに働く…
   これには、考えさせられました。

  どのようにかかわったらいいか…
   マニュアルはありません。
   そのときによって違います。
   相手によって違います。
  
   もちろん、共通する点もあります。
   誠実であることです。
   その人のために時間をかけることです。
   真剣に考えることです。
   見返りを求めないことです。
  
   私には、とても難しいことでした。
   ただでさえ忙しいのに、その人のために時間を使います。
   いろいろなことをします。
   でも、「ありがとう」の一言もないことが多いのです。
  「これだけやっているのに、お礼の一言もないなんて…」
   ついつい、このように思ってしまうのです。
  
   このころ、私はバッシングを受けていました。
   それは、語れないほどのことです。
   表で裏で、ありとあらゆることでやられました。
  
   その人に、ちょっとでも反抗しようものなら大変です。
   私のように憎まれていない人でもそうでした。
   99%いうことを聴いても、1%意にそぐわないと大変です。
  「わたしがこれだけしてあげているのに」
   自分の思いを強制するのです。
   押しつけるのです。
   みんなそれがわかっているので、表面だけでかかわっていました。
   逆らったら最後ですから。
  
   この人を見ていて、いろいろなことを思いました。
   人間としておかしいと思いました。

   親切にされるのは、ありがたいです。
   でも、度が過ぎるとどうでしょう。
   頼みもしないのに、やってくれる。
   お礼を強制される…
  「それだったら、やってもらわなくていい」
  と思うのではないでしょうか。
  
   私はいつも、中途半端でした。
   人に親切にします。
   でも、それは本物ではありませんでした。
   自分の時間を使い、自分がやりたいことをやらず…
   人のために時間、力を使っていたのです。
   ですから、見返りを求めてしまったのでしょう。
  
   サークルでの話です。
   メンバーの1人が、資料をコピーしてほしいといってきました。
   忙しい中、100ページほどコピーして持って行きました。
  「えっ、これだけ。ぜんぶしてほしかったのに」
   開口一番、文句をいわれたのです。
   コピーするのに、かなりの時間がかかりました。
   コピー代が、かかりました。
   そのことには、一言もふれません。
   してもらって当然…という感じでした。
   
   私はついに、怒ってしまいました。
  「それだったら、断ればよかったのに」
  といわれました。
  
   どうして、私が責められるのでしょう。
   当時は、理解できませんでした。

   どうして、私が責められるのでしょう。
   当時は、理解できませんでした。
   今でも、理解できません(笑)
  
  「限度があるだろう」
  と思ってしまいました。
  
   みなさんは、どうお考えでしょうか。
  
   最近は、違います。
   見返りは求めません。
   そのかわり、以前のようにはかかわりません。
   自分を犠牲にすると、いいことがないからです。
   ストレスがたまります。
   見返りを求めます。
   自分のやりたいことができません。
  
   せっかく、相手のために行動しても、いいことがないのです。
   それだったら、やらないほうがいいのです。
  
   私は、できる範囲でしかやらなくなりました。
   無理なときは、断りました。
   そのかわり、やるときはやります。
   自分が納得してやるのです。
   ストレス、見返りを求めることがなくなりました。
   氣が楽になりました。
   余力でかかわるからです。
  
   相手にとっても、いいようです。
   圧力がないからでしょう(笑)
   自然だからでしょう。
  
   
   かかわりについては、おもしろいエピソードがあります。
   友人の話です。
   ある人は、毎日のように家事をします。
   ご飯をつくったり、片づけをしたり、洗濯をしたり…
   頭が下がります。
   私とはえらい違いです。
   それでいて、奥さんから感謝されないのです(笑)
  
   ある人は、家では何もしません。
   しごとーだけです。
   1年に一度、奥さんの誕生日に手料理をつくります。
  「あなたって、なんてやさしいんでしょう。私は幸せ」
   だそうです。
  
   毎日やっているのに評価されず…
   1年に一度で評価される…
  
   人生って、こんなものかもしれませんね。
  
   教師の場合も、同じようなことがいえると思いました。
  
   

   かかわりかた…難しいです。
   これだというものは、ありません。
   自分が深くかかわると、どうしても相手に期待してしまいます。
  「ありがとう」という一言がほしくなります。
   浅くかかわると、これでいいのだろうか…という思いがつきまといます。
  「相手に対して、誠実じゃないのではないか」
  「もっとできるのに、手を抜いているのじゃないか」
  という思いがつきまといます。
  
   私の場合、深くかかわると、自分を犠牲にします。
   自分を犠牲にしたとき、いいことはありませんでした。
   相手にとって、重荷になるのでしょう。
  
   浅くかかわると、どうもいけません。
   自分が自分でないような感じがしました。
  
   どうかかわるべきか…
   矛盾をどう解決したらいいのか…
   長い間、もがきました。
  
   
   
   矛盾…いまだに解決していないかもしれません。
  
   私は、人によってかかわり方を変えました。
   どの人に対しても同じだったのですが…
   ※誠実さ、密度、時間などなど。
   それをやめました。
   あるときは、薄く、あるときは密に。
  
   子どもに対するかかわり方も、変わりました。
   こちらは、大きな変化がありました。
   子どもがぐーんと伸びるようになったのです。
   1人残らず。
   この子は…という子が、飛躍的に伸び出したのです。
   プレッシャーという呪縛からの解放でしょうか。
   私のかかわりが重荷ではなくなったのでしょうか。
  
   自分がよかれと思ってやるのではない。
   相手がよくなるようにかかわるべきなのだ…
   光が差し込んできたように感じました。
   


   しかし…頭でわかるのと実際は違います。
   わかっていてもできない、やりたくない…
   考えと行動が一致しないのです。
   ものすごい違和感がありました。
   調子がいいときはいいのですが、悪くなるとダメなのです。
   どうしても、マイナス思考になってしまうのです。
   いいときは、何も考えずに行動しています。
   負担になることはありません。
   感謝されなくても平氣です。
   悪くなると…いろいろなことを考えてしまいます。
   これのくり返しでした。
  
   現実は甘くなかったのです。
   自分自身が変わるまでに、10年という歳月が必要でした。
   わかっていても…
   やってあげている」
   という意識が頭をもたげてくるのです。
   強敵です。
  「自分は、ここまでしているのに…」
   いかん、いかん。
   それだったら、やらないことだ。
   人が困っているのに、助けなくていいのか?
   人を助けるのは、感謝されたいからか?
  
   いまだに、ときどき以前の自分が顔を出します。
   まだ、完全に変わってはいないのです。