言葉の教育 言葉でない教育 


 

   
   教育は言葉ではない

   「時間を守りなさい」
   「チャイムが鳴ったら、すぐに教室に戻りなさい」
   しかし…子どもは時間を守らない…
   担任はかりかりきている。
   しょっちゅう子どもを怒っている(叱るのではなく)。
   どこにでもありがちな光景ですね(笑)
  
   この先生を見ていると…
   職員朝会が終わっても、なかなか席を立ちません。
   20分休みが終わっても、たばこを吸っています。
   授業は…ほとんどの場合延長しています。
   ひどいときは、10分も延ばしています。
   職員会議は、いつも遅刻。
   「私は忙しい」
  
   子どもがよくなるわけがありませんね。
   中学生だったら、反発するでしょう。
  「おまえはどうなんだよ」
  「俺たちに時間を守れっていうけど、先生はどうなんだ」
   というでしょう。
   健全ですね。
   自分のことを棚に上げ、子どもたちには要求する。
   言葉と行動が矛盾しています。
  
   一方…
   私に知り合いには、実力者がたくさんいます。
   みなさん、すてきな方ばかりです。
   今回登場するのは、O県のM子先生。
   子どもたちに「チャイムを守りなさい」とはいいません。
   M子先生は
   ・朝早く教室に行き、子どもたちを迎えます。
    一人ひとりに「おはようございます」と声をかけます。
   ・授業は、決して延ばしません。
    チャイムが鳴り終わる前に終了させます。
   ・休み時間に、子どもたちを集めることはしません。
   ・帰りの会は、短く3分。
  
   M子先生の学級は…
   チャイムが鳴る前に、教室に戻ってきます。
   ちゃんと準備をして、M子先生が来るのを待っています。
  
   いかがですか?
  

  教育は言葉である

   ◆言霊
   言霊(「ことたま」ことだまではない)
   音霊
   を意識してやっているか。
   言葉には命がある。
   同じことをいっても、
   ある人がいうと効果があるり、
   ある人がいうと効果がない。
   言霊が宿っているかどうかの違いである
   言葉そのものに、「命がふきこまれているか」
  
   心からそう思っていっているか。
   内心と違う言葉を発していないか。
   心では「この子が悪い」と思い、
   口では「私(教師)が悪い」といっていないか。
  
   まずは、言葉には魂が宿っていると考えましょう。
   自分の言葉が子どもに届かないのは、魂が宿っていないからだ。
  
   このように考えると、言葉について研究するようになります。
   テレビを見ても、人の話を聴いても、言葉を意識するようになります。
  
  
  
   表と裏

   「教育は、言葉ではない」
   「教育は、言葉である」
   矛盾したことを述べてきました。
   
   この2つは、コインでいえば表と裏。
   両方あって初めて存在価値があるのだと思います。
   一歩進めていえば、この2つの狭間に教育が存在するのだと思います。
  
   ある学級の例
   ・教師が指示しても、いうことを聴かない。
   ・教師が指示しないと、もっとひどい状態になる。
  
   ある学級の例
   ・教師が指示すると、いうことを聴く。
   ・教師が指示しなくても、子どもだけで活動できる。
  
   言葉を使っても、使わなくても、同じです。
   正反対の結果が出る…
   どうしてでしょうね。