才能について


 
 教師1年目から、いろいろな研究会や合宿に参加しました。
 すごい人たちを見てきました。
 いくらやってもかなわないと思いました。
 自分の才能のなさを、うらめしく思いました。
 私は、コンプレックスの固まりでした。
 才能がない分は、努力するしかない…

 しかし、努力しても才能がなければ…と落ち込んでいました。
 そんなとき、次の文章に出会いました。

だから、少しぐらいやってみたり、一回や二回失敗したくらいで、「俺は、やはり才能がないんだ」なんて言わないことです。才能なんてだれだってありはしないんです。才能というのは、仕事をしながらつくっていくのだし、仕事をするなかでつくられていくものです。はじめからあるものではないんですからね。
       『教師の仕事と技術』(斉藤喜博 著)P25、26

 斉藤喜博流にいうと、「才能は生まれながらのものではない」ことになります。
 この考え方は、私に希望を与えてくれました。
 光明一筋。
 「生まれながらのもの」でないとすれば、努力によって道は拓けます。努力すれば、その道の超一流になれるというのです。

 反面、この考えは、自己との対決をせまるものです。自分には手が届きそうにない実践家を見た場合、「俺とは才能が違う」といういいわけができません。「才能」うんぬんを口にするのは、努力をしていない証拠になるからです。

 ある方に「杉渕は、才能が違う」といわれたことがあります。
 どんな才能なのでしょうか?

 自分では、才能らしきものはないと思っています。
 ただし、続けること、最後まであきらめないことはできるように思います。
 しつこいんですね(笑)
 これも、才能といえば才能なのでしょうか(笑)

 それから、もう一つ。
 すぐ行動します。
 思即行動
 です。

 子どもからはこういわれます。
「(先生は)うるさいのう」

 3年目、鈴木鎮一氏の『愛に生きる』(講談社現代新書)に出会いました。
 これだと思いました。
 必読書です。
 才能とは何かが、はっきりしました。

 それからです。
 劣等感を持たなくなったのは。

 最近、「zone」という番組で松井選手のお父さんの話を聴きました。
努力できることが才能である
 いい言葉ですね。
 私にぴったりの言葉です(笑)
 うれしくなります。
 努力は、いくらでもできます。
 やるかやらないかは、自分次第です。

 私のように才能がない者でも、20年やれば、そこそこになることができます。
 ただし、手を抜く人はだめです。