指導力



 指導力

 夏休み。
 補習を担当する。

 Hさん(他の学級の子)は、毎日やってくる。
 しかし…力は伸びていない。
 となりの子と仲よくやっているが…

 「ちょっと、やってごらん」
 10マス計算のかけ算をやらせる。
 1学期、4の段までいったはずなのだが…
 ×2までは、何とか10秒切れた。
 余裕はない。
 ようやくという感じである。
 ×3は、なかなか切れなかった。
 ×4は、まるっきりだめであった。
 まだ、覚えていないのである。

 指導を開始する。
 まずは、しっかり覚えていないものを覚えさせた。
  4×4、4×6、4×7、4×8、4×9である。
 
 タイムを計る。
 21秒。
 お話にならない。

 上の九九を練習するように指示。
 「全部できるようになったら、先生を呼びなさい」
 「今日の課題は、4×4、4×6、4×7、4×8、4×9を覚えることです」
 ようやく、課題がはっきりした。
 今までは、「何となく」やっていたのである。
 ピンぼけ状態の学習は、効果なし。
 
 期間巡視すると…
 やるたびに、タイムは縮んでいく。
 19秒、18秒、16秒…
 ※ストップウオッチを貸してある。
 こうして、12秒まできた。
 「よし、そろそろ先生がはかりましょう」
 12秒。
 「惜しい。もう少し」
 何回かやるうちに、11秒になった。
 「よーし、次はできるよ」
 あとは、4×8だ。
 4×8を練習させる。

 ついに10秒。
 
 水泳指導
 見に行くと…
 個別指導をしていない。
 子どもたちは、練習しているが…
 伸びない。
 当然だろう。
 何を、どうしたらいいかわからないのだから。

 個別指導する。
「人数が多いからできない…」
 いやいや、指導者のやる氣の問題である。
 少なくとも50人くらいは楽にできる。
 ワンポイント指導する。
 ・その子のいい点を認め、ほめる。
 ・次なる課題を出す。
  例 クロール→(手の)入水の仕方
    具体的に指示する。
   「親指から入れる」
   「手のひらが外を向くように」
 
 一人ひとり指導する。
 具体的に、どこをどのようにしたらいいかを示す。

 子どもたちは、がぜんやる氣になる。
 自由時間でも、
「教えてください」
とやってくる。
 これは、何を物語っているのだろうか。

 
 

 太鼓の授業 

 講師の先生が教えてくださるのだが…
 子どもたちが上達しない。
 特に、強弱ができない。

 授業後、特別指導をする。
 私は太鼓のプロではないが、教えのプロである。

 「頭でわかっても、腕がわかっていないんですよ、きみたちは」
  自分では、強弱をつけているつもりになっている。
  しかし、聴いている方にはさっぱりわからない。
  イメージと実際のズレが子どもには、わかっていない。
 「自分が思っている10倍差をつけなさい」
 強く打つところと弱く打つところの差をつける。
 子どもたちは、「できている」「やっている」と思っている。
 認識が甘いのである。
 頭と実際は違うのである。
 強く打ったあと、弱く打つところは、特に難しい。
 腕に「強く打つ」感覚が残っているので、弱くならないのである。
 チャンネルを変えるように、がらっと変えなければいけない。
 ブレーキがきかないのである。
 「音を出さない(弱く打つときは)くらいのつもりで」
 極端にやらないと強弱はつかない。
 (聴いている方に、伝わらない)
 「やりすぎ」くらいでちょうどいいのである。
 子どもたちの打ちは、強く打つところで強くない。
 弱く打つところで弱くない。
 結果として、強弱がつかないのである。
 「自分の姿は自分では見えません」
 「だから、コーチが必要なんです」
 「私はできている」という意識がある子は、変わらない。
 今日は、この意識の変革をねらったのである。
 意識の低い子には、厳しく指導する。
 一人ひとりやらせる。
 約20分間。
 はっきり強弱がつくようになった。