私の修行





子どもの記録をとる
発問を考える
実践記録を書く
声かけ

 教師修行

 よく聴かれることがあります。
「大変ですね」
「努力していますね」
「苦労していますね」
 人から見るとそう見えるのかもしれません。
 しかし本人にとっては、それほどでもないのです。
 苦しいと思ったら、続きません。
 私のいう修行は苦行ではありません。(いぎょう)です。
 自分の成長を楽しんでいるのです。
 はやりの言葉でいえば、プラス思考です。
「これができるようになった。よーし、次はこれだ!」
 やりたいことは、あとからあとからでてきます。
 1つのゴールが見え出すと、その向こうに新たな山が見えてきます。
 際限がないのです。いわゆる「無限地獄」(堰八正隆先生 談)です。
 
 「やらなければいけない」と思ったら続きません。いやいややっても力にはなりません。自分のためにやっていないのですから。
 苦しいこともあります。でもそれが楽しいのです。
 
 それでは、私がやってきた修行を紹介します。


子どもの記録をとる
 これは教育実習にいったとき、教えていただいたことです。
 指導教官(教務主任をしていた方です)の足立先生んに、「3日で名前を覚えなさい」
といわれたのですが、1日たたないうちに覚えました。
 ほめられました。そして次のようにいわれました。
「子どもの名簿をつくって、毎日一言記録しなさい」
 教わるときは、ものすごく素直な私です(だれですか?笑っているのは)。その日のうちに名簿を作成。
 次の日から記録を取り始めました。まあ、子ども一人ひとりの1行日記のようなものです。
 さて、放課後子どもがいなくなった教室で記録を書くと…書けない子がいるのです。38人中、5人くらいがどうしても思い出せないのです。
 その子たちとは、遊ばなかったり(めいっぱい子どもと遊んでいたので)、声すらかけていなかったりしていることに氣づきました。なんてうかつな…
「おれは子ども、一人ひとりを見ていないじゃないか…その子の表情、声、言葉が浮かんでこないじゃないか…」自分を責めました。いい子ですね。
 次の日、その5人に声をかけました。「遊ぼうぜ」と引っ張りでだしていっしょに遊んでもらいました。
 その日は、全員の記録が書けると思いうきうきしていました。
 放課後、記録を書き始めました。その5人は最初に書きました。
「よし、これで全員行くぞ」
 しかし、人生そう甘くはありません。またしても、思い出せない子がいたのです。甘いですね。今考えれば。自分の実力を考えていません。(笑)
 またしても5人…「おれって頭悪いのかな…記憶力悪いのかな…」
 いい子ですね。(笑)
 このようにして毎日挑戦しました。
 2週間立つと、1人残らず記録できるようになりました。
 それは、映像として再現できるようになったからです。
 しかし、ある日のこと。どうしても1人だけ思い出せません。
「そんなバカな。思い出せないなんて」
 逆戻りです。
 がっかりしました。どうしても思い出せないのです。

 翌日、その子から声をかけられました。
 私は、思い出せなかったことをあやまりました。
 その子は急に笑い出しました。
「先生、私かぜひいて休んだんですよ、昨日」
 ちゃんちゃん。

 
 授業での様子を記録しようと思いました。遊んだこと、しゃべったことはしっかり覚えているのですが、授業となると、急に霧がかかったように…よく覚えていないのです。
 だれが何をいったのか…
 これに挑戦しました。
 最後までできませんでした。
「そういうときは、メモすればいいんだよ」
足立先生がいいました。

 これが初めての教師修行でした。

 毎日、一人ひとりの記録を書きました。
 今、見ると実に稚拙です(笑)
 しかし、これが出発点でした。

 現在は多忙になり、子どもの記録は頭のノートに取っています。
 そして、毎日「あの子をどう伸ばすか」考えています。
 一人ひとりについて。


発問を考える

 これも教育実習で教えていただきました。
 教官の足立先生に、教えていただきました。
「流れは、指導書通りでいいから、発問を考えなさい。授業の中心となる発問を考えなさい」
 私は毎日考えました。中心は国語でした。『大造じいさんとがん』です。
 今読み返すと、笑ってしまいます。
 稚拙もいいとこ。
 うちの学級でこんなことを書く子はいません。
 それくらいひどいものです(笑)

 たとえば「このときの大造じいさんの氣持ちはどうでしょう」(^o^)
 若いですね。こんな発問で授業できると思っていたのですから。
 それでも、30も40も考え、その中から選ぶ作業を続けました。

 教師になって3年目、向山先生に出会いました。
 先生に教材研究の方法を教えていただきました。
「杉渕くん、見開きで100問発問を考えなさい」
 素直な私は、その通りにやりました。
 ※私以外の人は、やりませんでした。
  「数ではない、質が大切だ」というのです。

 毎日、毎日100つくりました。
 100という数は、半端ではありません。
 やった人はわかると思いますが、なかなかつくれるものではありません。
 
 脂汗を流しながら毎日つくりました。
 ほとんどがくだらない発問、つまらない発問でしたが…

 何ヶ月、続けたでしょうか。
 やっているうちに、こういうのがいいな ということがわかってきました。
 なんといっていいか…
 感覚的にわかるようになったのです。

 それから、授業に切れ味が出てきました。
 シャープな発問、助言ができるようになったのです。

 いい発問が見えてきました。
 浮かんでくるようになりました。

 向山先生が100つくれ といった意味がわかりました。
 普通、やりません。
「こんなことして何になる」
「時間の無駄だ」
など、やらない理由はいくらでも見つかります。 
 愚直な私は素直に実行しました。
 おかげで、見えてきました。
 いろいろなことが。

 100つくるというのは、情熱を試されているのです。粘りを試されているのです。
 この2つは、教師にとって重要な資質だと思います。
 そのことがわかったのです。
 これは、やらない人にはわかりません。
 私は5年続けました。いったいいくつ発問をつくったでしょうか。
 今は、100はつくりません。
 教科書を見れば、パッと頭に浮かびますから。
実践記録を書く

 実践記録、若いころは大量に書きました。
 けた外れの量だったようです。
 今は、できませんね。
 やろうとも思いませんけれども(笑)
 例えば、学級通信です。平均して年間500号は出していました(B4版)。多いときは1500号出しました。
 実践記録もたくさん書きました。
 合宿に100本のレポートを持っていったこともありました。
 今にして思えば、大切な地球の資源(紙)を惜しげもなく使っていました(笑)
 スミマセンです。
 ※今なら、ホームページに掲載すればいいですね。

 そのときしかできないことがあります。
 若いうちに、たくさんの実践記録を書いてみましょう。
 今なら、パソコンを使うといいですね。
 ばんばん書けると思います。
 それをホームページに掲載するといいと思います。

 まずは、量を書くことです。
 徹底的に書くことです。
 書いているうちに、質が向上してきます。


 
 工夫

 どうしたら子どもを伸ばせるか…
 どうしたら可能性を引き出せるか…
 教師の力量により、不可能が可能になるのだから…

 このように思っています。

 毎日、考えています。
 工夫をしています。
 一工夫が大切だと思うこのごろです。
 

 一人ひとり
 変換器

 マイナスの言葉をプラスに変えます。
 毎日おこないます。
 調子がいいときはすぐできますが、悪いときは難しいです。