やる氣 

   やる氣がすべて

   先日、ある学校にいきました。
   担任の先生に頼まれて、授業をしました。
   まず、その先生に授業していただき途中で入る形をとりました。
   いわゆる、介入授業です。
  
   最初、10分ほど見せていただきました。
  
   どの子が、どういう子なのか。
   家庭での様子。
   学級内の力関係。
   いろいろなことが浮かんできました。
  
   子どもの名前を覚えました。
  
   いよいよ授業です。
   まずは、子どもの名前を一人ひとり呼んでいきました。
  「君は、○○くん」
  「あなたは、○○さん」
  「えっ、先生どうしてぼくたちの名前を知っているの」
  「全員の名前をいえるの?」
  「もちろんです」
   続けて名前を呼んでいきます。
   挑戦的な目をした男の子の番がきました。
  「君は、えーっと○○くん…」
  「違うよー」
   やったぞ という感じで私を見ました。
  「○○くんじゃなくって、△△くん」
  「当たった!」
   そのあとも、次々に呼んでいきます。
   もちろん、全員正解です。
  
   子どもたちの目が、変わりました。
  「なんだこの人」
   という目がなくなりました。
   それはそうでしょう。
  「どんなことをするんだろう」
   興味深そうに見ています。
  
   準備が整いました。
  
   「あいさつ、返事の仕方を指導してほしい」
   と頼まれていました。
   学級全体としては、パワーが出てきた感じです。
   声が出ている子が多いです。
  
   信頼関係がないと、何をやってもうまくいきませんね。
  
   最初が肝心です。
   こっちのペースになってきました。
  

   やる氣の具体化


   名前を覚える…
   大切なことだと思います。
  
   高校時代のことでした。
   「そこの赤い服」といわれ、かちんときたことがあります。
   名前を覚えないのです。この教師は。
  
   教育実習生を2人、受け持ちました。
  「この1時間で子どもの名前を覚えなかったら、指導しないからね」
  「無理ですよ…」
   しかし、2人とも、30分で名前を覚えました。
   ※他の実習生は、1週間くらいかかったそうです。
  
   これは、才能ではありません。
   やる氣の問題だと思います。
  
   教師のやる氣が、子どもに伝わります。
    やる氣を伝える
    やる氣が伝わる
   教育の大前提ではないでしょうか。
  
   とっても大事なことだと思います。
   
   私がいっているのは、単に「名前を覚える」ことではありません。
   やる氣の具体化です。
  
   「やる氣があります」
   という人は、わかっていないのです。
   言葉ではなく行動で示すのが「やる氣」です。
   具体化されたものが「やる氣」です。
  
   このへん、勘違いされている方が多いですね。